甘い甘い、どこまでも
 


     2


冷ややかな無表情か 不快だとむずがるようなそれか、
稀には憤怒を滲ませ、声を荒げることもないではないらしいが、
口数少なで静謐な印象があるのは、
常に身を置く居場所の空気と もしかして自分がそう躾けた名残り。
開放的とは言えない環境で歳月を経ただけ…という
閉塞的な成長の弊害か、それとも単なる遺伝的な代物か、
その風貌は いまだどこか幼くさえあって。
頬骨も立たず、口許も小さめ、
慎ましい笑みを含めば十分端正でもあるのだが、月光の色のように印象は淡く。
そして何より、その体格が何ともほっそりと控えめなせいかもしれぬ。
冗談抜きに虎の少年は自身と同い年くらいだろうと思っていたらしく、
実はもう成人だと聞いて
呼び捨てでは失礼ではなかろうかなんて、生真面目な彼らしい狼狽を見せたほど。

「…よし、おしまい。」

カチンとスイッチを切られたことでドライヤーからの風も止まり、
大人しく髪を乾かされていたパジャマ姿の青年が、
恐縮したように“ありがとうございます”と礼をいう。
本来ならば自分の方こそ彼へと手を尽くさねばならぬはずなのに、
頼もしい師匠は器用な上に手際も良くて。
順番に浴びた風呂、あとから入った芥川の手を引いてさあさあと座らせ、
髪を乾かしてあげましょうと持っていった流れもまあ見事なそれで。
さすがに畏れ多いと思うのか、
肩を縮めの俯きがちになりのと、恐縮したままのかしこまった様子も、
礼節が先に来てのことならしょうがない それであり。
そうと躾けたのは他ならぬ自分で。とはいえ、

 “他人行儀だなぁ。”

太宰としてはちょっと寂しく感じなくもない。
まだまだ幼い風貌の彼を、どうせならうんと甘やかしてやりたいのに。
今しか出来ぬだろう構いつけ、
親代わりとして、いやいや愛しい者への情愛として、散々浴びせてやりたいのに。
いつぞや 何と探偵社への依頼なんてな形をとって敦へ相談したように、
慣れぬそれらへ、もしかしたら怯える彼かもしれぬ。
中也への似たような遠慮が、だがすぐにもほどけてしまい、
それは屈託なく懐いている敦のようにはさすがにいかないかと、
自分と中原の気性気概の違いは棚に上げ、
残念がってはみたものの、それで済ましていては芸がない。

「……ぁ。」

自分が常の黒外套を羽織っていなかったよに、
太宰もまたあの砂色の外套、この陽気の下ではさすがに羽織っておらず。
日頃は内着となっている濃色の中衣を上着代わりにしていた模様。
その中衣が一人掛けの肘掛椅子に放り出されていたものだから、
ハンガーへ掛けた方がよかろうと、
そおと拾い上げた芥川、壁へはめ込みとなっているクロゼットへ歩みを運び、
扉を開こうと室内へは背を向けたところへと、

  あ……。

ふわりと香った柔らかな匂いとそれから、
ゆったりした空間へ掻い込まれたことを伝えるやさしい温みと。

 「……、太宰さん。」

逃さぬように、若しくは警戒も抵抗も封じるためにというような。
慌ただしくも攻性滲ませた鋭さはなく、
むしろ至ってやわらかな動きでのこと。
いかにも大人の男の持ち物である、長くて精悍な双腕が伸ばされて来ていて。
まずは取り囲んだだけのそれが、そおっとそおっと輪を縮めてゆき。
こちらの両の二の腕ごと、芥川の胸元をぐるりと、
抱きすくめてしまっておいで。

 「……。」

随分と上背のある彼で、
4年前も背の高い人だと思ったが、今はもっと大きいと思う。
実際の身長も伸びただろうし、それ以上に人性も大きく深くなっており。
その聡明さから発する 底の見えない思惑を抱え、
人の何歩も先をゆくのを常としているところはやはり昔と同じだが、
昔は隙なく凛然としていて鋭利な人という印象が強かったものが、
今は一見すると柔らかな雰囲気を破綻なくまとっておいで。
剥き身の刃と揶揄されたのはかつての自分だったけれど、
では、この人は武装を解いたかといえば全然そんなことはなく。
また、策士や論客におさまり返っているわけでもない。
コトが起きればそれは即妙に自身が奔走し対処に立ち回るし、
軽快な、それでいて的確な行動と炯眼には
いまだ曇りも濁りも、はたまた愚かな慢心もない。
ただ、そこも昔とは変わっていない、
嘘は言わぬがその代わり、言葉足らずで何も言わずに駆け出してしまわれるので、
周囲の者はそんなに自分はあてにならぬかと悔しい想いをせねばならぬ。
並び立つなんて烏滸がましいと判っているのに、
それでもちりりと感じる自尊心への痛み、幾つやり過ごせば感じなくなる?
才豊かにして懐の尋深く、
自身を楯に差し出してもよしとする大胆苛烈な行動力だって持ちながら、
されど、差し出された情へは縋らぬつれなさが冷たくて。

  それは美しい湖みたいな人。
  深みにはまると自力ではもう浮かび上がるのは不可能。

そんな人が、その懐に封じ込めた青年へ、
悩まし気に目許を伏せると、
響きの良い声の深みも甘く、こんなことを囁いてくる。

 「キミがどれほど中也から守られていたかを思うと、
  自分が悪いというのに何故だか嫉妬が止まらない。」

かつては太宰も籍を置き、
まだ十代でありながら、冷酷怜悧な権謀術数を展開しては、
大人さえ出し抜くことに快感を得ていた冥い場所。
ポートマフィアというその名の示す通り、裏社会を牛耳る犯罪組織であり、
才の無き者は容赦なく摘み取られる残酷な世界だというのもまた誰もが知悉するところ。
弱者であるほど生きながらえるのは難しく、
先で開花しそうな兆しがあっても今現在の力がなき場合、
よほどに甲斐性がある者が
それを見抜いた上でその翼をかざして囲うてくれねばどうにもならぬ。
史上最年少で最高幹部の座についた太宰が、
その地位を初めとする何もかも、一縷の未練もなく捨て去ったのが4年前。
突然失踪した太宰を、だが首領は追跡せよという指令を発しはしなかった。
そうなった経緯に心当たりがあってのことらしく、詮索はタブー。
だが、唯一そんな彼を執拗に追ったのがこの芥川で。
追跡行に限界を見ると、各所で爆破を起こし爆炎をもってその存在を示す狼煙とした。
そうまでの暴走を繰り返し、世間からの注目を集め、
また当人も敵対組織から要らぬ恨みを買って、さして頑丈でもないその身へ怪我を増やす。
そんな困った狗へ、だが、頼もしい双腕を広げてくれたのが中原で。
首領の指示での配置とされてはいるが、それは書面上の処理での話。
このままでは自分で自分を噛みつぶすと、
手を伸べ、彼なりのしつけを施し、何とか落ち着かせられた功績は大きく。
太宰もそれには深く感謝しているものの、
まだ少年だった彼の錯綜してしまった心をほどき、
うずくまりそうになるの、暖かく支えた人へ、
芥川の側から最も心開いていようこともまた違えようのない事実。
そこのところが、ともすれば 何と言いましょうか、
アタシとあの人、どっちが大事?と訊いてみたくなったというところか。

 「……。」

守られていたことへの嫉妬とは、
これまたややこしい、言葉足らずなお言いよう。
放り出されていた方がよかったのか、
それをあなたが拾いに来てくれるつもりだったのかと、
小賢しくも訊くような子なら、いっそこうまで焦れはしなかろ。
単に悋気といや女々しい代物かも。
だがだが、それがどれほど尖った想いか、
鋭く恐ろしい感情かくらいは知っていように、
ならば恐れにゃならぬ筈だのに、取り成すべきだろうに。
しばしの間を置き、自分の胸の内をひとしきりまさぐっていたようだったが、
その胸元へ渡された頼もしい腕を見降ろすと、

 「…想ってくださり嬉しいです。」

じんわりと感じ入る何かへ触れるよに、
渡されたままの太宰の腕を巻き込むようにして自身の胸へ手を添え、
口角をわずかに上げて、含羞みつつ そうとつぶやく不思議な青年で。

 「罰当たりでしょうか。」

肩越しにこちらを振り返り、
さらりと言ってしまう幼い顔にはあざとい企みの匂いさえしない。
いっそそうであれば どうしてくれようかという歪んだ意欲もわくのにね。
あまりに放っておいて寂しがらせ続けた弊害か反動か、
与えられるものがすべて嬉しいと還元されてしまうほどに
自然体で太宰に甘い彼なよで。
かつての暴君ぶりを披露してもきっと耐え忍ぶのだろうことは想像するに難くなく。

 “しませんて、また置き手紙される。”

その前に中也さんが乗り込んで来そうですしね。(笑)
キョトンとしている愛し子の猫っ毛へ、頬をくっつけスリスリと撫でて。
ああ、人の心 試すような子供っぽいこと、すればそのまま跳ね返る。
そんな天然なキミなのへ今宵もまた降伏してしまう、
希代の策士様だったのでありました。







おまけ


大きいベッドだから1台に二人で転がれるよと、
おいでおいでと誘ったそのまま、とりあえず寝そべっておれば、

「あの…人虎に惚気てもいいですか?」
「…☆」

もしかしてこれって、
大事にされておればこその自慢と出来るのではなかろうかと、
思ったけれど一応許可を取るところが、
これは立派に天然ならではの弊害で。
そんな突拍子もないことを言い出す天然さんへ、

「…それだとすぐに中也にも伝わってしまうよ?」

敦くんがお喋りだとは言わないが、君らに関してだけならば妙に察しの良い人だしね。
何を話してて沸いているのか、探りを入れられたらすぐにも読まれる。
それは厳かに説けば、あ…と小さめのお口を真ん丸に空けて見せたので、

 「キミはどうか知らないが、それだと私がちょっと悔しいからダメ。」
 「???」

新しい課題を放り込んでどうすんでしょうか、双黒の片割れ様。
もっと一般の人や天然青年へ判りやすい物言いを身につけた方がいいのでは?(笑)






  〜Fine〜   17.05.14.

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 *GWの集いのおまけのような時系列でしょうか。
  宵の口の皆でのお喋りがお開きになって、
  それぞれに寝室へ引いてからという感じで。
  
  久々にエヴァの“びゅーてぃふるわーるど”聴いて、
  出だしの
  『もしも願いが1つだけ叶うなら /君の傍で眠らせて』というのが
  妙にじんと来ました。
  色んな過去を持ってて色んな札付きの太宰さんや中也さんは、
  実のところ こういうささやかな幸せが得難い立場にいて、
  だからこそ切に欲しいと願ってる人なのかもしれないなと勝手に思ってます。
  そんな甘いおばちゃんが書くとこういう話ばっかになるわけです。